2008年1月27日 (日)

気持ち

集中治療室に長く入っていると幻覚を見たり幻聴を聞いたり精神的におかしな状態になる.ICU症候群と呼ばれるこの症状は前回の入院時にも経験している.今回はすぐにこの症状があらわれた.2回目ということもあり,本人はすでに気が滅入っていたのかもしれない.一般病棟に移れれば症状は改善する.はやく集中治療室から出られるように.(GX100)

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2008年1月25日 (金)

再発

母の病気が再発した.
地元の病院から根津の大学病院の救命救急センターに転送された.

また根津通いがはじまる.(AX + 50/1.4Planar)

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2007年10月27日 (土)

退院

9月の3連休,2度目の外泊許可が出た.毎日,階段の昇り降りをし,病院の前の神社へも散歩に出られるようになっていた.飲み薬の必要がなくなり,食事はおかゆではなく普通のかたさのごはんになった.前回は病院から自宅までタクシーを使ったが,今回は病院から池袋までタクシー,ここから電車で自宅まで帰った.毎日のリハビリの効果だろうか,調子が良さそうだ.前回のようにすぐ横になる事もない.これならすぐにでも退院できそうだ.

外泊から病院にもどった翌日,主治医が変わった.救命救急センター科へ異動したそうだ.研修医だったのかもしれない.あの感じで救命救急でやっていけるのだろうか.

転院してから45日目,発病してから47日目.退院許可が出た.退院は週末の土曜日.痰からの菌も見られなくなり,レントゲン,血液検査の結果も問題なしとの事.膵臓の機能低下もなく糖尿病の心配もないそうだ.約1ヶ月半,50日間の入院生活だった.(E-1 + 50/2.0macro)

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2007年10月25日 (木)

外泊

外泊許可が出た.9月15,16日自宅へ帰った.およそ1ヶ月ぶりの帰宅だ.病院から自宅までタクシーで1時間かかった.あちこちでお祭りをやっていて道が混んでいた.病院の近くにある根津神社も15日からお祭りだった.
まだ体力がなく,タクシーで1時間はつらかったらしい.階段を登ろうとしたらよろけてしまった.部屋ですぐに横になった.

外泊許可が出ればもうすぐ退院できると思っていたのだけれど,まだつらそうだ.見舞いにいったときになるべく歩くように病室から連れ出さなければいけないだろう.もうちょっとで退院なのだが,もうちょっとがなかなか.(New F-1 + 50/1.2L)

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2007年10月23日 (火)

回復期

大きな総合病院や大学病院は急性期病院といわれる.このような病院では,先進の医療を必要とする患者を優先的に受け入れるため,回復期に入った患者は地域の病院へ転院することになる.回復期に入った母も転院のための準備に入ったが,感染症による菌が思うように減らない.菌を持ったまま転院することは出来ない.歩けるようになればこのまま退院もあるのだけれど,まだ車いすで動くのがやっとの状態.

この大学病院に転送されてから1ヶ月,救命救急センター科から消化器内科に転科してから11日が過ぎた.せん妄は見られなくなった.(AE-1P + 35-70/3.5-4.5)

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2007年10月20日 (土)

検査

23日目.2人部屋に移る.点滴がすべて外れて飲み薬だけになった.今週はエコー,MIR,レントゲン等内科での検査が目白押し.救命救急センター科での検査は病状を見るもの.内科での検査は原因を探るもの.

27日目.検査結果が出た.原因は特定できなかった.強いて言えば,
1.胆のうに砂状の影が見られる.
2.消化液が十二指腸へ出る出口がほんの少し狭い.
この2点から砂状の細かい胆石が詰まって消化液が逆流した可能性が考えられる.
再発した場合,胆のうの砂状の影が見られる部分を切るしかない.膵炎を示す値は問題なくなってきており,炎症による膵臓の機能低下は見られないそうだ.あとは感染症とリハビリ.説明は主治医ではなく主治医の上司がおこなった.鹿賀丈史みたいなしゃべり方が笑える.集中治療室で一度視たらしく,あの状態でよくここまで回復したものだと,鹿賀丈史みたいなしゃべり方で感心したように言っていた.

30分ほど説明を受けて病室に戻ったが,入口側の患者さんが処置を受けていたため戻れずに車いすのままロビーで時間を潰す.まだ体力が戻っていないので車いすでもつらいらしい.30分ほど時間を潰して病室に戻ったが,まだ入れない.空いているベットで休ませてもらう事にした.思った以上に体力が落ちているようだ.(AE-1P + 35-70/3.5-4.5)

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2007年10月19日 (金)

感染

22日目,夜の面会.いつものようにHCUをのぞくといつものベットにいない.看護士さんに聞いてみると,今日内科病棟に移ったようだ.ただし,明日もう一度病室を移るという.「本人から何も聞いていないですか?」と聞かれたので,「はい」というと,なぜか看護士さんの歯切れが悪くなった.いつもハキハキした主任さんなのだが,言葉を選びながらしゃべっている.鼻から入れていたチューブを調べたところ感染症にかかっていたことがわかったらしい.そのため安全な病室に移る準備を進めていたのだけれど,転科先への引き継ぎがうまくいっていなくて2回に分けて病室を変わることになった.感染症というのは病院にとってタブーなのだろう.

転科先の病室に向かう.6人部屋の普通の病室.点滴が1つだけになりすっきりしている.しばらく話しをしていたら新しい主治医があらわれた.消化器内科(ここの病院では第3内科という)の女医さんですごく若い.もしかしたら研修医かもしれない.雰囲気がほわーんとしている.救命センター科が緊張感バリバリだったから落差が激しい.今後の治療の事について話しを聞く.膵炎についてはもうすこし治療の必要があるとのこと.値が落ち着いたら転院を含めて退院を考える.気になっていた感染症のことを聞いてみる.感染症について現在本人に影響は出ていない.ただし,他の患者さんに影響をおよぼす恐れがあるので明日病棟を移るとのこと.まだ痰から菌が見られるので食前にイソジンでのうがいをつづける.また,菌が消えるまでは転院もできないらしい.その間,治療と平行して本人は歩く練習を始めなければならない.3週間も寝たきりなのだから.(AE-1P + 35-70/3.5-4.5)

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2007年10月18日 (木)

食事

13日目.6日間つづいた微熱が下がった.主治医から「安定してきて良くなってきてる」と言われた.はじめて「でも... 」がつかなかった.ほんとうに良くなってきているみたいだ.
14日目.経腸栄養を再開した.鼻から腸までチューブを通してここから直接栄養を送るもので,集中治療室にいたころからやっていたのだが状態が悪くなり中止していた.
18日目.水を飲み始めた.点滴がどんどん外れてきた.
19日目.ついに食事がはじまった.食事といっても,もちろん重湯.米のとぎ汁みたいなもの.体の状態を監視していたモニターも外された.
20日目.9月になった.夜から五分粥になった.
21日目.車いすでロビーに出た.夜から三分粥になった.

このころ,回復期に入って転院先をあたってもらっていたがHCUに11日間いた後,一般病棟に転科することになる.実はこれにはわけがあった.(New F-1 + 50/1.2L)

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2007年10月17日 (水)

HCU

10日目.せん妄がひどい.しばらくは気が抜けない.今週はずっと午後休みで14時30分からと18時からの2回の面会に顔を出している.18時からの面会のときいつものベットに別の患者さんが寝ている.看護士さんに聞いたところHCUに移ったとの事.急なことだが良い話しだ.

HCUとはHigh Care Unitのことで集中治療室と一般病室の中間に位置するもの.いままでいたところはICU:Intensive Care Unit,集中治療室.

まだ微熱がつづいているのだけれど,容態が安定してきた事とせん妄がひどくなってきたのでHCUに移れたらしい.といっても高度救命救急センター科の病棟なので面会は1日2回だ.ありがたいのは夜電気が消える事と全身管理が和らいでいるのでアラームがうるさくない事.これで夜眠れるようになればせん妄も落ち着くだろう.午後の面会のときは険しい顔つきをしていたのだけれど,HCUに移ってからは穏やかな顔になった.微熱が取れて容態が落ち着いてくれば一般病棟に移れる日も近い.と思っていたらいつものように主治医があらわれて「HCUに移ったからといって安心してはいけない」などと厳しい事を言って帰っていった.(New F-1 + 50/1.2L)

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2007年10月16日 (火)

危機

8日目.容態が急変した.CRPという炎症を示す値が40まで上がった.転院時より悪くなった.すぐに透析を再開し,足の静脈からカテーテルを入れた(最初の動脈カテーテルとは違うらしい).結構やばいみたいだ.すべては医者にまかせるしかない.微熱.

9日目.CRPが20まで下がった.微熱つづく.せん妄がひどくなってきた.ひどくなると自分で体中のチューブをはずして歩き回るらしいが,そこまでひどくない.面会のときは話しかけて眠らせないように言われた.昼間寝てしまうと夜眠れなくなる.昼夜の区別をつけることが必要らしい.夜眠れるように薬を入れはじめた.意識がはっきりした状態で9日間も集中治療室に入っているのが心配だ.他のひとの例でもこれだけ長くはない.長くて1週間くらい.

高尾でカビだらけのカミキリを見つけた.ネットで検索したらカミキリはカビに弱く,この性質を利用してカミキリの駆除をしたりするらしい.(FZ7)

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2007年10月14日 (日)

せん妄

集中治療室に入って5日が過ぎた.腹水を抜くためのチューブが外された.膵臓に入れている動脈カテーテルの効果か,体は快方に向かっているようだった.しかし,恐れていた症状がではじめた.母がおかしなことを言うようになった.すでにネットで重症急性膵炎についていろいろ調べてあったので覚悟をしていたのだが,これがICU症候群といわれるものだった.

集中治療室は特殊な環境だ.あちこちでアラーム音が鳴っている.夜もずっと電気が灯いている.カーテン1枚向こうでは生死の境をさまよっていたりする.体中にチューブが付いている.こんな環境に意識がはっきりした状態で入院していると精神がおかしくなって幻覚,幻聴などせん妄の症状が現れる.これも一般病棟で昼夜の区別がはっきりしてくれば直ってくるそうだ.看護士さんからは本人の言う事は否定しないように話しを合わせて欲しいと言われた.

6日目,透析が外された.炎症を示す値(CRP)も転院時27が4.7まで下がった.7日目,膵臓に通している動脈カテーテルが外された.酸素マスクも外された.少しづつ良くなってきているような気がする.もう少しで集中治療室を出れそうだ.「でも安心はできない」が主治医の口癖だった.

2ヶ月ぶりに高尾にいった.前回は8/5だったから完全に季節が変わってしまった.ビジターセンターからの帰りに薬王院境内のいつものケヤキの巣穴をながめたら,むさがひょっこり顔を出している.徳さんとムササビ隊長と一緒だったのだけれど,みな写真が間に合わなかった.下の写真は顔を出した1分後のもの.このあとしばらくながめていたが顔は出さなかった.残念.(FZ7)

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2007年10月13日 (土)

手続き

重症急性膵炎は国の定める特定疾患であるため治療費に関して助成を受ける事が出来る.認可されるまで1.5ヶ月くらいかかるが,助成を受けられる期間は書類を提出した日からなので至急手続きを済ませるように主治医から言われた.それだけ治療費がかかるということだろう.8月13日から月末までの19日間で保険適用は260万円だった.3割負担として90万円近く,1割負担として26万円の計算.結構きつい額だ.認定されれば保険適用分に関して全額助成される.認可までに支払った分は申請後払い戻される.

保健所で専用の診断書を含む書類一式を入手して病院へいき診断書を書いてもらい,そのまま保健所へ戻って書類を提出した.病院へ戻ると午後の面会時間になった.集中治療室の面会は1日2回,14:30〜15:30の間と18:00〜19:00の間と決まっている.体のチューブがまた増えた.お腹から水を抜くものらしい.案外元気そうだった.週末には集中治療室から出られるかもしれないと思った.

いつのまにかキンモクセイの咲く季節になっていた.電車に乗ったら線路脇のセイタカアワダチソウの黄色い色が目立っていた.毎日のように見舞いにいった8月,9月の暑さがうそのようだ.(GX100)

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急変

入院から3日経った8/13の夕方18時ごろ,携帯が鳴った.
症状が悪化して,いまの病院では治療できなくなったので駒込にある大学病院に転院したらしい.取りあえず心配はないというのでそのまま仕事をつづけた.10分くらい席を離れた間に携帯に伝言が残っていた.急遽手術が始まったのですぐ来て欲しいという.

なんで? すぐに仕事を片付けて病院へ向かった.携帯で調べると最寄り駅は千駄木.仕事場からは1時間くらいかかる.病院には19時半ころ着いた.転院元から付き添ってきた弟と妹がへこんだ表情で待っていた.運ばれてきたときにはショック症状を起こしており,手術の説明の際,かなり厳しい状態であることを言われたらしい.

病院に着いて3時間が過ぎた頃,看護師さんが呼びに来た.救命救急センターの面談室で主治医の先生から病状と施した処置,予想される最悪の事態について説明があった.いくつかの同意書に署名をした.手術というのは足の付け根の動脈から膵臓の炎症を起こしているところまでカテーテルという細いチューブを通すものだった.このチューブを通して膵臓に直接薬を入れることで重症患者には劇的な効果があるらしい.動脈カテーテルは最大で5日くらい残置するらしいので週末には効果の具合がでる.腎不全に対して透析もおこなわれている.とにかく危険な状態であるが,できることはすべてやったということだ.

思い切って具体的な数値を聞いた.死亡率30%だ.主治医は厳しいことしか言わないのでへこんだ.ロビーに戻って30分ほど待ってまた呼ばれた.処置がすべて終わったので面会できるという.集中治療室なので滅菌された上着を着てマスクをかけた.集中治療室はテレビの医療番組で出てくるような感じで広い空間にベットが10床くらいあった.あちこちでアラーム音が鳴っている.

母は一番手前のベットにいた.体中にチューブがつながっている.酸素マスクをつけていた.意識ははっきりしている.意外に元気だ.救命救急処置が効いてきたのかもしれない.

「でも安心はできない」が主治医の口癖だった.(GX100)

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2007年10月12日 (金)

急性膵炎

土曜日のことだった.夜帰ると自宅の留守電に伝言が入っていた.朝から激しい腹痛と嘔吐を訴え,母が近くの病院に入院した.医者の診断は中等症の急性膵炎だった.5日程度の安静が必要だが危篤な状態ではないとのことだったので,代休が取れたら見舞いにいってこよう,程度に考えていた.世間はお盆休みなのだがこっちは通常営業.すぐにとんでいくことができない.

聞き慣れない病名だったのでwebで検索してみた.
簡単にまとめると...

急性膵炎とは,膵臓からの膵液と胆のうからの胆汁が混ざった消化液が十二指腸のところで腸内に供給される際,出口が塞がったりして膵臓に逆流して炎症をおこすもの.膵液と胆汁が混ざった消化液は脂肪を溶かす強力なものなので膵臓自身を溶かしてしまう.軽症から中等症では軽い炎症でとどまるが,重症化すると膵臓を溶かしあふれた消化液が他の臓器まで溶かし多臓器不全を併発し死に至る.重症例では明確な治療方法が確立されてなく予後も不良のため国の定める特定疾患,難病指定となっている.
軽症〜中等症での治療は炎症を抑える薬と膵液の分泌を抑える薬,水分補給のための輸液が主で絶飲絶食安静が必要.

5日もおとなしくすれば退院できるらしい.

このとき,数日後に重症化するとは思ってもいなかった.(New F-1 + 50/1.2L)

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2007年10月11日 (木)

母の病気の事

母の病気は重症急性膵炎だった.大学病院の救急救命センターに転院後,5時間もの処置を受けて医者から覚悟してください,と言われてそんなにひどい状態だったなんて思わなかった.

最初に入院した病院では中等症の急性膵炎と言われた.聞き慣れない病気だったのでネットで調べると1週間くらい安静にすれば直るらしい.重症に移行するとやっかいだが,中等症で良かったと安心した.入院後,3日目に容態が急変した.集中治療室のある病院への転送が必要になった.

重症にしぼってさらにネットで調べた.欲しいのは経験者の主観的な記録だった.どんな状態だったのか,どれくらいの期間でどれくらい回復したのか.知りたい情報がたくさんあった.でも,ひっかかってくるのは客観的な医療情報だった.そんな中,いくつかの経験者のブログが助けになった.これからどうなるのかわからない暗闇の中,彼らの経験談を何度も何度も読み返した.

ネットは万能じゃない.たくさんのひとが体験していることはくさるほどひっかかる.でも,体験者が非常に少ない情報はなかなか見つからない.体験者が少ないからこそ,その情報は必要とされることが多い.今回のことを書き留めておこうと思った.これから経験するかもしれないひとのために.(New F-1 + 50/1.2L)

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